”絶望"の淵で"希望の牧場"が生まれた・・
福島第一原発から14km地点にある“よしざわ牧場”
2011年3月11日14時46分。大地震発生。
ホームセンターで買い物をしていた吉澤は牧場に向かって国道6号を南下。
南相馬市小高区あたりで渋滞。裏道に入り牧場を目指した。それから30分も経たないうちに
大量のがれきを含んだ津波が国道6号で渋滞にはまっていた車を襲った。
3月12日、警察の通信部隊が牧場に通信機器設置~夕方には撤収命令・・・。
(3月12日15時36分1号機水素爆発)3時間後18時25分、20km圏内に避難指示が出される。
14日の昼、吉澤は3号機建屋の爆発音を牧場内で2度聞いた。
17日、自衛隊の大型ヘリが3号機建屋へ海水を投下。
吉澤は80ミリの双眼鏡を持ち出し2階からその様子をのぞく。
もともと吉澤は、反原発の立場をずっと貫いてきた。
1960年代から計画されていた『浪江・小高原発』に対して、地元住民とともに
30年以上にわたって反対運動へ参加し、声を上げてきた。
大地震、津波、放射能、災害が大混乱を生むなか
毎日発電機を回して牛に水や餌を与え続けていた吉澤の思いは、言葉として像を結ぶ。
「決死・救命・団結!」
3月18日。東電本店に直接乗り込み抗議。
自分たちで作った原発を、自分たちで止められなくてどうする。
自衛隊や消防は、決死の覚悟で戦っているのに、あなたがたはどうだ。
すべてをぶん投げて逃げようとしてるじゃないか。
ふざけるな。おれだったら、死んでもいいからホースを持って
原子炉へ水をかけにとびこんでいくぞ、
いま必要なのは、そうやって“いのち”を投げ出す覚悟で
立ち向かう決死隊じゃないのかーーーーー。"
"いまここで牛を置いて逃げ出せば、一生ベコ屋に戻ることはできないだろう。
だからおれは330頭の牛達と運命をともにする。"
吉澤はそう決断した。
〈針谷勉 著『原発一揆』より抜粋要約〉
収入の無い牧場の活動は
皆様の支援金によって支えられています。
震災から12年がたち、徐々に世間の関心が薄れていく状況の中、
牛達が寿命を全うするまで、まだ10年以上は活動を継続しないといけません。
希望の牧場では工場やスーパーからの廃棄野菜、
余った牧草ロール、河川敷の除草ロールなど
出来る限り費用をかけない餌で、牛達を生かしていく取り組みを続けています。
とはいえ、日々の作業に必要な重機の燃料費、
メンテナンス費用等はどうして必要な出費になります。
運搬に必要な大型トラックの車検、修理費用は3桁になる事も普通です・・・。
牛達を生かす活動継続の為、是非とも皆様のご協力をお願い致します。
支援金お振り込み先
あぶくま信用金庫 浪江支店 | |
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店番 | 005 |
口座番号 | 0305362 |
名義 | 希望の牧場 よしざわ |
代表 吉澤正巳 |